平成26年度 第2回地域再発見講座 川口地区

第2回地域再発見講座は、白山比咩神社(川口)境内にある真言院の奥の院といわれる「水尾弘法大師堂」と巨石の「立石」に小雨の中ウオーキングを楽しみながら探訪しました。
また、地元の大広区の副区長前田八さん、猟師の前出己良さんに当日の案内と事前に探訪コースの草刈りや、倒木の処理をしていただくなど、大変お世話になりました。

講座概要

探訪場所

三重県津市白山町川口 (地図末尾

開催日時
平成26年6月18日(水)9:30 ~ 12:00
主   催
白山公民館
講   師
白山道しるべの会

探訪場所の概要

水尾弘法大師堂
大広集会所に集合

大広集会所に集合

井藤館長から挨拶

またもや、第1回八ツ山地区に続き雨ですが、雨ニモマケズ・・・


弘法大師堂への参道

弘法大師堂への参道

水尾弘法大師堂への参道

集合場所の大広集会所より、伊勢中川カントリークラブのコースに隣接した、緩やかな登りの参道を歩き20分程で水尾弘法大師堂に着きました。雨に打たれアジサイの花が一段ときれいに咲いていました。


水尾弘法大師堂

水尾弘法大師堂

水尾弘法大師堂

水尾弘法大師堂は、奥山田にあり白山比咩神社(川口)境内にある真言院の奥の院と言われています。54段の石段を登ると石の塔に天明7年(1787)と刻まれています。
  また、階段を上り下りするとちょうど108段となり、除夜の鐘にちなむ数になることから、古来、煩悩の除去を、石段を一段一段踏みしめながら願い歩いたものだと言われ、古くから近郷近住の信者が多く参詣されていました。

さらに、真言院が北畠の祈願所であったことから裏手には、多気の北畠さんに通じる小道がありました。今は獣道になっていますが、八頭峠には南門があり北畠さんの御姫様が来られると、狼煙を上げ知らせ、お迎えの準備がされていたようです。


閼伽井水

閼伽井水

弘法大師五鈷杵を以て堀り給う閼伽井水

「山雄田興廃記」には、白山より十二町南に水尾という峰あり、これは大昔弘法大師五鈷杵を以て堀り給う閼伽井水あり、百日旱魃と雖ども水増減これなく不思議の名水なり、故に諸人敬いを成す如宝経書写しの硯水にもこれを用う云々と書かれております。


弘法大師(空海)
平安時代の僧、真言宗の開祖
五鈷杵(ごこしょ)
密教の儀式 護摩・祈祷などで使われる特別な仏具で、中央の刃の周囲に四本の刃を付けたもの
閼伽(あか)
仏教において仏前などに供養される水
如宝経(にょほうきょう)
一定の法式に従って経文を筆写すること

護摩供養

護摩供養

2014年4月20日行われた護摩供養

毎年4月21日に近い日曜日に護摩供養が行われています。


お菓子や餅がまかれ

お菓子や餅がまかれ

大勢の方のお参りがあり、お菓子や餅が沢山まかれ、この日は大賑わいです。

通称 立石(天狗松)
立石(天狗松)

立石(天狗松)

立石前景

弘法大師より尾根道を約10分歩くと、
これが立石です!
上まで上る自信のある方は、思い出に挑戦して、登ってみてください。

「高さは、何メートルか?」皆さんにクイズを出しました。


立石を登る

立石を登る

ロッククライマー現れる・・・


記念撮影

記念撮影

全員で記念撮影

クイズの正解は、8m20cmでした。

真言院の「山雄田興廃記」想像絵図

帰りに白山比咩神社(川口)の真言院に立ち寄っていただき、新たに設置した「山雄田興廃記」の想像絵図を見ていただきました。


「山雄田興廃記」想像絵図

「山雄田興廃記」想像絵図

「山雄田興廃記」想像絵図

山雄田興廃記に記されている水尾弘法大師堂や八頭峠の南門の位置や、織田軍勢の兵火にかかり焼失した当時の社殿等の様子が描かれています。

平成25年度 第3回地域再発見講座 川口地区

京都、滋賀、福井の3府県に初の大雨特別警報が出された、大型の台風18号が通り過ぎ心配された被害も、幸い当地域は大きな被害もなく9月18日(火)「第3回地域再発見講座」津市白山町川口地区の案内を秋晴れのもと行うことができました。
今回の案内コースは川口公民館より約2キロのコースで、瀬古区の瀬古集会所(廃高田寺跡)の国指定の重要文化財、十一面観音立像や、上野(かみの)区の医王山東光寺の17年目毎に開帳される野田の薬師さんの話をお聞きし、次回開帳「平成29年」に思いをはせ、次の杉ケ瀬区内の善性寺に向かい副住職より、寛政の一揆についてプロジェクターを使って分かりやすく案内していただきました。
最後に首謀者として斬首の刑に処せられた川口村 森宗左衛門の墓碑に手を合わせ今回の講座を終えました。

講座概要

探訪場所

三重県津市白山町川口 瀬古区および上野区、杉ヶ瀬区 (地図末尾

  • 瀬古集会所(廃高田寺跡)
    (十一面観音・薬師如来・水晶の舎利塔・陶製壺)
  • 東光寺(鰐口・野田の薬師さん)
  • 善性寺(寛政の一揆)
開催日時
平成25年9月18日(水)9:30 ~ 12:00
主   催
白山公民館
講   師
白山道しるべの会

探訪場所の概要

瀬古区  瀬古集会所
瀬古区長奥田さんのお話

瀬古区長奥田さんのお話

瀬古集会所前

瀬古区の区長、奥田さんより廃高田寺の文化財「たかだちのかんのんさん」(地元の呼び名、国指定重要文化財「木造 十一面観音立像」のこと)を区民の皆さんが大切にお守りされ、毎年1月と8月の17日の夜ご開帳し、お供えを上げ四国三十三ケ所のご詠歌を唱えてお祀されている事を教えていただきました。


木造薬師如来坐像

木造薬師如来坐像

木造薬師如来坐像

地元の楠見さんに案内していただきました。
かなり大きな像であるが、緑青や金箔の名残を留めており、平安時代末から鎌倉時代初期の頃の作といわれています。


木造十一面観音立像

木造十一面観音立像

木造十一面観音立像(たかだちのかんのんさん)

国指定重要文化財

一木造りの檀像で平安初期の作
膝を曲げた右足を爪先立つようにして、かかとを高く浮かせ、まさに歩き出さんとする寸前の動きのある珍しい仏像です。


水晶製の舎利塔

水晶製の舎利塔

水晶製の舎利塔

明治40年代まであった石造十三重塔の下から出土した高さ4.1cmの鎌倉時代の水晶製の舎利塔です。
石造十三重塔に鎌倉時代の正応5年(1292)建立と記されており、壺が作られたのもその頃と考えられています。


舎利塔収納の壺

舎利塔収納の壺

水晶製の舎利塔が納めれれていた壺

色や形の特徴から常滑古窯(とこなめこよう)の製品と言われています。


瀬古公民館の庭

瀬古公民館の庭

盃状穴(はいじょうけつ)

盃状穴(はいじょうけつ)

盃状穴(はいじょうけつ)

瀬古区内に点在していた石造物が集会所の敷地に集められている中に、写真の様に丸く大小の穴が幾つか掘られ穴と穴の間を水が流れるように溝がほられている石があり、何かの礎石と思われていましたが、今回の講座で古来の信仰に使われた「盃状穴」では、ないかと参加者の方から教えていただきました。

「盃状穴」についてご存知の方は、情報をお寄せいただければ幸いです。下記コメント欄をご利用下さい。よろしくお願いします。


上野区の東光寺へ向う

上野区の東光寺へ向う

次の訪問地  上野(かみの)区の東光寺へ向う

秋晴れの下、名松線沿いを歩く

上野(かみの)区  医王山東光寺
医王山東光寺での案内

医王山東光寺での案内

医王山東光寺

地元の森川さんに案内していただきました。
開基その他全くわからない。然し本尊薬師如来は室町以前の作と思われるから相当古い寺であることは間違いがない。寛文の頃(1660年代)の「紀州領寺改帳」に西称寺の末寺と記されている。また、昭和53年本堂屋根葺き替えの祭、鬼瓦に宝暦3(1753)年と記されていたことから、本堂はこの年の建立であると推察される。
地元の方に野田の薬師として親しまれ、古来から信仰され、今も1月、4月、10月の12日には、お祭りが行われています。


本尊 薬師如来立像

本尊 薬師如来立像

東光寺本尊  薬師如来立像(野田の薬師さん)

平成29年の開帳まで閉ざされている本尊。
(17年目毎に本尊が開帳され、大々的にお祭りが行われます。)
本尊の薬師如来は豊顔にして木眼、顔、胸、手には金箔を施し、全衣には金採模様があり、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩がありこの二躯は優美端麗な像で室町期の作と言われています。薬師三尊をはじめ十二神将まで整っているのは珍しいと言われております。


鰐口(わにぐち)

鰐口(わにぐち)

鰐口(わにぐち)2

鰐口(わにぐち)2

東光寺の鰐口(わにぐち)

鋳銅製の鰐口は、面径28.2cm、肩厚6.5cmで目から置持までヒビ割れが走っており、桃山時代の作である。

(現津市白山郷土資料館蔵)


杉ヶ瀬区の善性寺へ向う

杉ヶ瀬区の善性寺へ向う

次の訪問地  杉ヶ瀬区の善性寺へ向う

道の両側には、大豆が沢山できていました。地元の大豆で、農産物直売所「ぬくいの郷」の「豆腐」やその他「一揆味噌」が作られます。

杉ヶ瀬区  林光山善性寺
林光山善性寺

林光山善性寺

林光山善性寺

寛政の一揆関係者の墓碑と供養塔(森宗左衛門墓碑、森彦兵衛墓碑)が祀られている。
また、紀州藩の庄屋竹内家の墓碑も祀られています。


副住職藤喜一樹さんのお話

藤喜一樹さんのお話

寛政の一揆

副住職の藤喜一樹さんよりプロジェクターを使って分かりやすく、寛政の一揆の動機や、当時の様子を案内していただきました。

天明の大飢饉の後、幕府の「寛政の改革」を受け財政難に苦しんでいた藤堂藩が藩財政の立て直しをはかるために思い切った改革を強行しょうとした事が原因としてあげられます。

一揆は、寛政8年の暮れ、12月26日夕刻、佐田で火の手が上がり近隣の村を誘い合わせ、一志、安濃、河芸、鈴鹿の農民約3万人が津城下に押し寄せたと言われております。
最終的に農民側の要求が受け入れられ、改革を進めた藩の重役の処罰、藩士の処分が行われ農民側の勝利に終わりました。
しかし一揆の首謀者として、大村の大庄屋 池田佐助、八対野庄屋 多喜藤七郎、川口村庄屋 森彦兵衛と子供宗左衛門、谷仙村庄屋 町井友之丞が捕らえられ、寛政10年12月19日には多喜藤七郎、森宗左衛門、町井友之丞の3人が塔世河原で斬首の刑に処せられた。池田佐助、森彦兵衛は入牢させられたことに抗議して食事を取らなかったために獄死した。首謀者たちは後に世直大明神としてたたえられ、その思いは、今も地域に生きています。

白山町の特産品として有名な「一揆味噌」は、寛政の一揆にちなんで名付けられました。


寛政の一揆墓碑

寛政の一揆墓碑

寛政の一揆関係者の墓碑と供養塔

向かって左から供養塔、森宗左衛門墓碑、森彦兵衛墓碑
【森宗左衛門辞世の句】
森枯れて ねぐらをさがす 夕がらす
罪障も 功徳とかはる み仏の おしへうれしき 法の旅立ち


【お知らせ】
 農産物直売所「ぬくいの郷」の詳細は、「ぬくいの郷」のページをご覧ください。

平成24年度 第3回わが町発見講座 川口地区

  第3回わが町発見講座は、津市白山町川口の河口頓宮(とんぐう、関宮)とその周辺を探訪しました。河口頓宮は、聖武天皇が天平12年(740)伊勢国、美濃の国、近江の国に行幸され、河口に10日間滞在されたと「続日本記」に記述があります。
  「聖武天皇関宮宮跡」の碑と天皇に随行し、この地で詠まれた「大伴家持の万葉歌碑」が建っている医王寺境内や周辺の戦国時代に川口城があった御城地域の石造物などを訪ねました。

講座概要

探訪場所
三重県津市白山町川口(地図末尾
  • 的場の石仏
  • 新初瀬街道  御城の五輪塔
  • 医王寺常夜灯、聖武天皇河口頓宮跡、医王寺
  • (八王子山)御城行者堂ほか
  • 市場の石祠
  • 弥五郎坂
  • 観音寺常夜灯
  • 的場の道標
  • 馬場の子安地蔵
開催日時
平成24年9月19日(水)9:30 ~ 12:00
主   催
白山公民館
講   師
白山道しるべの会

探訪スナップ

白山公民館で出発前の説明
白山公民館での出発前説明

  

聖武天皇河口頓宮跡の大伴家持の万葉歌碑
大伴家持の万葉歌碑


河口の野辺に いほりて夜の更れば 妹が袂し 思ほゆるかも

(河口の野辺に仮寝して幾夜も経ったので、妻の手枕が恋しく思われることだ。)

医王寺本堂での案内
医王寺本堂での講義

  

伊勢神宮両宮への常夜灯
伊勢神宮両宮への常夜灯

  

探訪終了時の講座問題集の答え合わせ
探訪終了時にテキスト問題の答え合わせ

  講座テキストの末尾に、今回探訪した箇所に関する問題が掲載されており、その答え合わせを行って解散となりました。